ゼミナール

「用と美」ゼミナール

モノ探訪 ④

江戸の昔から
庶民に愛され続ける波佐見焼

2016年4月1日更新

シンプルでおしゃれ、機能的。
波佐見焼の食器が人気です。
良品を手頃な価格で手にできる、その理由は
江戸時代から続く
焼き物産地としての取り組みにありました。

江戸時代から量産していた波佐見の焼き物

多くの窯元がある陶郷・中尾山(なかおやま)。煉瓦色の煙突が並ぶ風景は、どことなく懐かしい。

伊万里、有田、三川内(みかわち)、波佐見(はさみ)──佐賀県から長崎県にかけて、かつて肥前と呼ばれていた地域には、多くの焼き物の産地があります。16世紀末、豊臣秀吉の命で朝鮮に出兵した大名たちが朝鮮から陶工を連れ帰ったことが、これら九州北部地域の本格的な窯業につながりました。

長崎県のほぼ中央、佐賀県との境に位置する波佐見町。ここは、日常使いの食器を大量生産する波佐見焼の産地として知られています。実は、「庶民が使うものをたくさんつくる」という取り組みは、400年前の江戸時代から続いているのだそうです。

波佐見町の隣には有田焼の産地である佐賀県有田町がありますが、江戸時代から幕府や諸大名向けの焼き物を手がけ、今も料亭向けの「割烹物」の器をつくるなど高級路線です。隣り合う2つの地域で、なぜこれほどまでに方向性が異なっているのでしょうか。

江戸時代、波佐見は大村藩、有田は鍋島藩の領地でした。裕福な鍋島藩は窯業を手厚く保護し、高品質の焼き物を生産。一方、経済的に豊かではない大村藩内で製造されるもののほとんどは日常食器でした。「藩が戦略的に取り組んでいた有田に対して、波佐見は民窯に近い焼き物づくりをしていたようです」と言うのは、波佐見焼振興会の山下雅樹さん。

 波佐見の人びとは、生業として焼き物に取り組む中で独自の方法を模索。食器を効率良く大量生産することで1個あたりの単価を下げ、国内外に販路を広げていきました。それをよく表しているのが、江戸時代に屋台で料理を売るための盛り付け碗として流通した「くらわんか碗※」です。時間をかけずにひと筆で勢いよく描かれたような模様の「くらわんか碗」は、江戸時代の遺跡や川底など、日本国内のほぼ全域で発見されています。また、波佐見町内には、全長170m、窯室39室という世界最大の登り窯の遺跡「大新登窯跡(だいしんのぼりがまあと)」をはじめ、規模の大きな登窯跡があり、江戸時代から大量生産に意欲的に取り組んでいたことがうかがえます。

※江戸時代、摂津(現在の大阪府北中部)の淀川沿いの船に、商人が小舟で近付いて「餅くらわんか、酒くらわんか」と言って売ったことから名付けられた。

くらわんか碗。時間をかけないでつくるために、ひと筆で描いたような〝ラフ″な模様。制作時期は、左から江戸時代初期、江戸時代後期、18~19世紀。

鎖国だった江戸時代、長崎・出島から輸出する醤油や酒を入れるために、波佐見でつくられていた「コンプラ瓶」。オランダ語で日本を意味する「JAPANSCH」と酒を意味する「ZAKY」の文字が書かれている。醤油が入っていたものは「ZOYA」の文字が入っていた。コンプラ瓶を文豪トルストイが一輪ざしとして使っていたという記録がある。

中尾郷にある世界最大の登り窯の遺跡「大新登窯跡」。点線部分に全長170mの登窯が設けられていた。(写真提供:波佐見町教育委員会)

うまく焼けなかったものを捨てる、窯跡近くの「物原(ものはら)」から出土した、くらわんか碗の失敗品。

現代に求められる「用と美」を兼ね備えて

上段 左:プレート、ブロックマグ スープ/中:いろは土瓶、そば猪口/右:プレート、ボウル
中段 左:いろは中皿、小皿、茶碗/中:トイグラタン、トイキッシュ/右:藍駒 茶碗(上段中段 すべてマルヒロ)
下段 左:藍駒 急須、仙茶/中:Kurawanka Wan(和山)/祝鯛 中皿(マルヒロ)

今、波佐見焼は、「暮らしの中で気軽に使えるおしゃれな食器」として、注目されています。シンプルな形、アクセントカラーの利いたメリハリのある色づかい、軽やかで、どことなく温もりのある風合い──。とりわけ、女性や感度の高い若い世代に人気です。

50~60年代のアメリカのダイナーをイメージした食器や、海外のタイポグラファーとコラボレーションした器などを企画・プロデュースする波佐見焼の商社マルヒロの新里李紗さんに、「波佐見焼の特徴は?」という問いかけをすると、「特にこれという典型的なものはないんです」という意外な答えが返ってきました。

シンプルでモダンなデザインの食器も、実家の食卓で使われているような素朴で懐かしい和柄の器も、どちらも波佐見焼が持つ"顔"なのだそう。時代や、人々のニーズに応えて食器をつくる柔軟性。そんなマインドが脈々と受け継がれ、現代の波佐見でも自由な発想で多彩な焼き物づくりが展開されているのです。

分業制で効率よく大量の食器をつくる

波佐見焼は効率よく大量生産するために、制作工程に応じて、原料である土をつくる「陶土屋」、型をつくる「型屋」、型を使い泥からかたちをつくる「生地屋」、かたちづくられた物に絵付けをして焼く「窯元」といった具合に分業制でつくられています。

成形された、さまざまな形の生地(釉薬を施していない状態のもの)が棚に整然と並ぶ。

昭和42年創業の「和山」は、町内でトップレベルの生産量を誇る波佐見焼の窯元。工場内に一歩足を踏み入れると、窯に入る前の、さまざまな形の白い生地が棚に整然と並んでいます。これらは、生地屋で成形・乾燥されて運ばれてきたもので、同社では、「素焼き( 半焼成)」して絵柄を施し、釉薬をかけて「本焼き(本焼成)」するまでの工程を手がけます。江戸時代、波佐見焼は短期間で生産するために素焼きをせず、本焼きのみをしていたそうですが、現在は素焼きも行います。「素焼きをすると、絵付けや釉かけがしやすくなるんですよ」と、同社代表取締役社長の廣田和樹さん。

素焼きの窯の外観は無機質な機械のようですが、扉を開け、耐火煉瓦で仕上げられた内部を目にすると、その姿はかつて見た煉瓦づくりの登り窯の記憶とも重なり、「ああ、これは窯なのだ」と納得させられます。

素焼きをして、ほんのりと淡いさくら色になった生地に機械や手で絵付けをします。大量生産といっても、デザインや柄によっては、職人がひと筆ひと筆、丁寧に描いていきます。光沢を出すための釉かけも手作業。「昔、釉薬は一種類でしたが、いろんな食器をつくるようになった今は何十種類もあるんですよ」と廣田さん。

盆、暮れ、正月を除いて24時間稼働という本焼きの窯から、1300度でじっくりと焼かれた食器が出てきます。熱で溶けた釉薬が輝き、オーソドックスなシルエットの中にも個性が見え隠れする食器たちです。

素焼き

素焼きの窯に4000個の生地を入れ、900度で9時間焼く。

絵付け

絵付けはデザインや柄によって、機械や手描きで行う。写真のように、機械で柄をプリント(左)した後に、手で彩色(右)することも。

釉かけ

釉薬をつける。東京某区の学校給食用食器を作業中。

高台はぎ

本焼きする際に、窯の中で高台が癒着しないよう、特殊なスポンジで底をはぐ。

本焼き

約1300度で焼き上げる。釉薬が高温で溶けて表面に薄いガラス質の膜をつくることで、吸水性をなくして硬くし、表面を滑らかにする。

焼き上がり

自動化された本焼きの窯から、焼き上がった食器がゆっくりと出てくる。

Column

日本の原風景に会える鬼木の棚田

日本の棚田100選の一つである「鬼木の棚田」。陶郷・中尾山から車で約5分。窯元ギャラリーめぐりの後に足を運んでみては。

四季を通じて美しい田園風景を楽しめる。

取材:2016年3月
撮影:銭場千夏(株式会社フレンズ)

ようこそ、マリモリビングオープンキャンパスへ学長メッセージ 開校のごあいさつ