ゼミナール

「用と美」ゼミナール

モノ探訪 ②

使いやすく、強く、美しい――
世界で愛される南部鉄器

2015年10月30日更新

南部藩の殿様に守られ
盛岡の地で受け継がれてきた南部鉄器
作り手たちは、
400年前と同じ技法と向き合います。

茶釜から考案された鉄瓶

今から約400年前の江戸寛永年間、南部藩主が京都から盛岡に釜師を招き、茶の湯釜をつくらせたのが南部鉄器の始まりです。鋳物生産に必要な鉄資源、川砂、粘土、漆、木炭などすべての材料が産出したという盛岡。この地で鉄の文化が生まれたのは、必然、と言えるのかもしれません。

文化に造詣が深かったという歴代の南部藩主。とりわけ8代藩主利雄(としかつ)公は茶道に秀で、そばに仕える者のみならず、城下の武士や町人にまで茶道を広めました。さらに当時流行し始めた煎茶法に合う道具として、釜師が茶釜の寸法を縮めて注ぎ口とツルをつけた鉄瓶を考案。茶釜の代わりに手軽な鉄瓶が広く使われるようになりました。

戦時中の鉄製品供出、鉄瓶の製造禁止という不遇な時代を経ても、南部鉄器には常に一定数の愛用者がいました。しかし、住宅から囲炉裏が姿を消したこともあり、戦後は盛岡でさえも一般家庭で鉄瓶を使うことが少なくなっていったそうです。

盛岡城跡公園は、南部鉄器を保護・育成した南部藩主の居城があったところ。美しい石垣と池が残り、桜や紅葉など四季折々の自然が楽しめる。

美しい「あられ文様」は南部鉄瓶の象徴。

海外で人気に火が付いてブームに

20年ほど前、南部鉄器のカラー急須がつくられ、ヨーロッパや北米で人気が高まりました。カラーは昔からの黒や茶だけでなく、さまざまなバリエーションがありますが、これは、海外の企業から、「こんな色でつくってほしい」という依頼があって生まれたものです。

さらに、2010年、上海万博に岩手県の工芸品として出品された南部鉄瓶が注目され、中国で人気を博します。こうした海外の流れを受けるように、日本でも南部鉄瓶が見直され、需要が増加。現在、生産が追いつかず、鉄瓶によっては手に入れるまでに2年近くかかるものもあるとか。本当に良いものは、時も場所も超えて人を魅了するものなのです。

「海外では、『壊れにくく、丈夫で長持ちするから』という理由で鉄瓶や鉄の急須が選ばれているようです。日本では、『鉄瓶で沸かした湯でお茶を淹れると、鉄分が摂れる』という健康志向から愛用される方が多いですね」と、南部鉄器の老舗メーカー、株式会社岩鋳 営業課の宮野美智子さん。

海外向けにつくられたさまざまな色の急須。
内側は琺瑯(ほうろう)でコーティングされている。

レタースタンド(左)や香炉(中央)、文鎮にもなる動物の置物(右)など、実用とインテリアを兼ねた小物も。

昔も今もすべて手作業で
「岩鋳」

南部鉄瓶は、今も400年前とほぼ同じ方法でつくられています。すべてが手作業であり、1つの鉄瓶が完成するまでに少なくとも2週間はかかるとか。

最初にデザインを決め、図面を引いてつくった挽型板をつくります。挽型板を回して鋳物砂と粘土汁を混ぜたもので型をとると、「文様捺(お)し」の工程。ふっくらとした鉄瓶に規則的に広がる「あられ文様」を目にしたことのある人も少なくないでしょう。職人がひとつひとつ丹念に捺していく、この、あられ文様こそが南部鉄瓶の象徴。寸分の狂いもなく、端整に広がっていくその様に、自然界でしか見られない「黄金比」にも通じる美しさを感じます。

文様を付けた型は焼いて固め、その中に「中子」という型を入れて鋳型をつくります。その隙間に1500度の溶解鉄を流し、少し間を置いて型をはずす――姿を現した鉄瓶の、やや白みのかかった透明感のある赤は、この瞬間でしか見られない、〝生まれたての赤〟。それが、時間とともにゆっくりと銀鼠色に変化していきます。

南部鉄瓶ができるまで

1. 挽型板を回して
型をつくる。

2. 型が乾燥しないうちに文様を捺す。

3. 鉄の溶解炉で溶かされた鉄を柄杓で受ける。

4. 組み立てた鋳型に
流し込む。

5. 固まった鉄を鋳型から取り出す。

6. 鉄瓶を約250℃に加熱し、表面に「くご刷毛」で漆を焼き付け、さらに、100~150℃で「おはぐろ」を掃き付ける。
使い手のことを考えて鉄と向き合う

株式会社岩鋳の八重樫亮さんは南部鉄瓶の職人となって23年。「清茂」の作家名を持つ伝統工芸士です。岩手出身ですが、鉄瓶は「祖父母の家にあったかも…」と記憶があるくらいで、この仕事に就くまで使ったことがありませんでした。もともとは教師志望でしたが、就職活動中に職場体験をして「ストライクゾーンにはまってしまい」(八重樫さん)、それ以来、鉄瓶をつくり続けています。

「陶器などの焼き物は、火の入り方によって偶然に出る色や効果がありますよね。でも、鉄瓶はそれがない。自分のやった仕事がそのまま出るんです。そこがおもしろく、やりがいのあるところですね」と八重樫さん。

着色し、ツルを付けて仕上がった鉄瓶を見ていると、時間がゆっくりと流れていた、かつての日本家屋の風景が思い出されます。鉄瓶の形は江戸時代とまったく同じなのかと思えば、さまざまだそう。昔からの形を忠実に守っているものもあれば、底をフラットにしてIHコンロでも使えるようにするなど、新しい工夫を採り入れているものもあるそうです。

400年の昔から、使い手のことを考えて鉄と向き合ってきた南部鉄器の職人たち。頑なに伝統を守りながら、私たちの〝今〟の暮らしに合う道具をつくり続けているのです。

3代目清茂の作家名を持つ伝統工芸士の八重樫亮さん。「手間暇をかけた鉄瓶の良さをわかってもらえるのが嬉しいですね。自分のつくった鉄瓶が長年使われて修理を依頼されると、さらに喜びを感じます」

八重樫さんの手による南部鉄瓶。
「鉄瓶 18型小槌亀甲 清茂作」(上左)、「鉄瓶 雨上がり清茂作」(上右)。
伝統工芸士である八重樫さんによる南部鉄瓶には、名前が刻印されている(左)。
現役の南部鉄器伝統工芸士は八重樫さんを含め20人。

モノ探訪 ミニ講座

家にある古い鉄瓶を使ってみましょう

株式会社岩鋳 営業課 宮野 美智子さん

「物置きから古い鉄瓶が出てきたのですが使えますか?」といった問い合わせをよくいただきます。鉄瓶が古く、赤くサビていても、お湯を沸かしてみて直後のお湯が透明ならそのまま使っても大丈夫です。お湯が赤くなる場合は、何回か水を入れ替えて沸かすと、透明になってきます。サビがひどい場合は、出がらしでも構わないので、煎茶をガーゼやお茶パックに入れて煮出してみてください。お茶のタンニンと鉄が結びついて鉄瓶の表面に膜ができ、サビが水の中に出てこなくなります。3世代に渡って鉄瓶を愛用されているという方も大勢いらっしゃいますし、鉄瓶は長く使えるものです。古く見える鉄瓶でも使えるはずですから、ぜひ試してみてください。

Column

盛岡は賢治と啄木ゆかりの街

宮沢賢治が生前に「注文の多い料理店」を発行した「光原社」がある材木町には、宮沢賢治の世界をイメージした「いーはーとーぶアベニュー材木町」があります。近くには「啄木新婚の家」も。盛岡駅から気軽な文学散歩はいかが?

「いーはーとーぶアベニュー材木町」は盛岡駅から徒歩約10分。

光原社内にある「賢治の白壁」

取材:2015年10月
撮影:安達 貴之

ようこそ、マリモリビングオープンキャンパスへ学長メッセージ 開校のごあいさつ