ゼミナール

「住めば都」ゼミナール

元気なまち物語 ⑤ 島根県・大田市

甦った町並みでの仕事と暮らし、
そして神楽が人とまちを結ぶ。

2016年7月1日更新

島根県の中央部にある大田市。
その山間部にある人口約400人大森町と石見神楽を切り口に、
遠隔地の元気づくりを探訪してみましょう。

江戸時代から大正まで約400年に渡り銀山のまちとして栄えた大森町。どこからも遠い山中のまちの不便さが幸いして大規模開発の触手が伸びず独特の家並が残った。

10年前、世界遺産に登録された「石見銀山」を有する島根県・大田市。今回はその中にある人口400人の小さなまち大森町と石見神楽にスポットを当てて、都市から遠いまちの元気づくりの様子を探訪してみましょう。

美しい町並みをたたえた山のまち

「石見銀山」という地名をお聞きになったことがありますか? そう、10年前の2007年に世界遺産に登録された日本の重要な史跡のある所です。

この「石見銀山」の裾に広がる、人口わずか400人の山間のまちが大森町(大田市)です。ここには出雲空港から車で1時間半、広島からバスで2時間半というアクセスの悪さにも関わらず、年間40万人の人が訪れます。そのほとんどが「石見銀山」の史跡観光を目当てにやって来るのですが、まちを去る時にはその町並みの美しさとここで営まれているていねいな暮らしぶりに心を動かされて、やさしい気持ちで帰途につきます。

通りを歩くと、軒先にはたくさんの緑や花が置かれ、さりげなく花が生けられている。

たとえば昔の面影を残しながらきれいに整えられた町家。その玄関先に置かれた手入れの行き届いた緑や花の鉢。格子戸に竹筒を掛けて生けられた野の花・・・。こうしたまちの佇まいを見ながらこの地方独特の赤い石州瓦の町並みを歩くと、忙しい毎日の中で置き去りにしてしまったものを思い出し、ひととき和やかでやさしい気持ちになることができます。

しかし、この美しいまちも40年ほど前には見る影もなく寂れていました。江戸時代に発見され、当時の世界の産出銀の3分の1が採れたほどの石見銀山。最盛期の人口は20万人にも膨れ上がったといわれていますが、大正12年(1923年)に鉱山が閉山した後は、まちからどんどん人が去り、空き家や廃屋だらけになった町並みは目も当てられない状態になってしまっていたのです。

「暮らしがあるからこそ、世界に誇れる」とする大森町の「住民憲章」。

住む人とともにまちを見ると、人の営みがいかにまちに生命を吹き込むかを感じる。

その状況を救ったのは、2組のUターン者でした。一人は、世界的に知られる義肢メーカー「中村ブレイス」の中村俊郎氏。もう一組は、日本全国にファンをもつアパレルブランド「群言堂」の松場夫妻です。

まち再生の立役者である「中村ブレイス」の中村俊郎社長とそのまち再生の方法については、2ページ目のインタビューでじっくりとご紹介することにして、まずは大森町への若者のI・Uターンの拠点となっている「群言堂」を訪ねて、お話を聞いてみましょう。

石州瓦の赤い屋根が続く大森町の家並。武家、商家、民家、寺が混在する。

まちの武家屋敷を教室に、「むかし家事教室」が開かれている。

「ていねいな暮らし」を楽しみ、発信する

「根っこのある暮らし」をコンセプトに、オリジナルの服飾品や雑貨を発信する「群言堂」。平均年齢35歳のスタッフ50人が、定住したり通ったりしてこのまちで働いています。

その一人、山形沙織さんは、千葉のショップから、この春、自分の意志で大森町の本店へ転勤してきた女性。「都会のお店で10年働いたので、節目の意味もあり、転勤願を出しました」と言います。

現在、山形さんは古民家を使った女子寮で、オーナーの松場登美さんと一緒に寝起きしています。「いかがですか?」と聞くと、「千葉でひとり暮らししていた時には絶対に学べなかったことをたくさん教わります」と言います。

たとえば掃除の仕方。ごはんの炊き方。そして常備菜の作り方など。こうした『暮らしぶり』や『たしなみ』は都会のマンションで暮らしていると、もうほとんど知る機会もないもの。「でもここの暮らしにはそれがちゃんとあって、しかもそれはとても美しいものだと分かりました」と山形さん。こうした経験をしたことで、「群言堂」がつくり発信する服や雑貨の思想もより深く明確に見えてきたそうです。

「群言堂 石見銀山本店」は、築150年の商家を再生してつくられた。景観を壊さないように、建物の外には目立つ装飾をしないようにしている。

千葉から移住した山形沙織さん。「ここに来てからちゃんと食事をするので、ちょっと太ってしまいました」と笑う。

群言堂の服は生地からオリジナル製作される。国産糸を国産メーカーで染織し、国内の縫製会社で縫い上げる。こうして人の身体と心に寄り添う服をつくりあげる。

築227年の武家屋敷を13年かけて再生し、ふるさとに帰ったようにくつろいで過ごせる宿、「暮らす宿 他郷阿部家」もつくった。

「ずっとこのまちに居続けるかどうかはまだ分かりませんが、都会のショップに戻ったとしても、このまちで見知ったていねいな暮らし方をバックボーンに、お客さまにいろいろな提案やアドバイスができることは素晴らしいことだと思います」と笑う 山形さん。その笑顔は、とても幸せそうに見えました。

中に入ると、奥深く趣に満ちた空間が広がる。中庭の周囲にカフェや売り場が配置され、スペースを移動しながらゆっくりと買い物や提案を楽しむ。

「神楽」が結ぶ、まちと人の堅い絆

スサノオノミコト役の俵大貴さん。小学校1年生から神楽を始め、21歳にして神楽歴15年の猛者。

石見において、まちと人を結ぶもうひとつの大事な要素が「神楽」です。石見地区には「神楽団(または神楽社中)」と呼ばれるグループが138団体もあり、人気の神楽団は日本全国どころか世界各国から招かれて公演をするほどの実力です。

今回、お邪魔したのはそんな神楽団のひとつ「大屋神楽社中」の練習場。「大屋神楽社中」は20歳代~30歳代を中心に36人が所属する比較的大きなグループです。

大田市駅から真っ暗な山道を車で走ること30分で、ようやく大屋町の集会場に到着。練習はここで夜8時から週2回、仕事や食事を終えたメンバーが駆け付けるのを待って始まります。

この日練習するのは、週末に大阪での公演を控えた「八岐大蛇(やまたのおろち)」。スサノオノミコトが大蛇を退治する勇壮で華々しい演目です。舞い手と太鼓と鐘は男性、笛は女性が担当。特に打合せもなく始まったのに、所作と位置と演奏がぴったり合っていることに驚きます。聞くと、所作も位置も全て厳密に決まっていて、1シーン1時間ほどある振付けをすべて覚えないと舞えないのだそう。相当難しいことだと思いますが、「いや、子どもの頃からやってるので、全部身体で覚えてますよ」とスサノオノミコト役の俵大貴さんは言います。他の役はもちろん、太鼓や鐘も演奏できるそう。

そんな俵さんは「神楽を続けたいから、地元でできる仕事に就いた」と言い、「自分から神楽をやめることはまずない」と断言します。

スサノオノミコト役の俵大貴さん。小学校1年生から神楽を始め、21歳にして神楽歴15年の猛者。

石州和紙で作った神楽面。公演の謝礼などで買い足したり修理したりしながら大事に使う。

クライマックスの立ち回りシーン。練習なのに、思わず固唾をのんでしまう大迫力。

一方、笛を吹く松原舞子さんは30歳で2児の母。高校卒業後いったん広島に出たものの、家族が恋しくて郷里にUターンしてきて、21歳から笛を始めたそう。遅めのスタートだったものの神楽一家に生まれて「小さな頃からいつも神楽の音色を耳にしていたので、難しくはありませんでした」と言います。練習に連れてきていた幼い息子さん2人も「きっとそのうち始めると思います」と笑います。

地域の人が大切に保存継承する神楽は、得難い人生の宝を彼らにくれているようです。

竹に桜の皮を巻いてつくられた横笛を担当する松原舞子さん。夫と弟も神楽をやり、父は神楽団の団長。

練習場で遊ぶ松原さんの長男。こうして伝統芸能がごく自然に継承されていく。

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