ゼミナール

「住めば都」ゼミナール

元気なまち物語 ③ 兵庫県・淡路島

「淡路はたらくカタチ研究島」のメンバーに聞きました。

「この事業に参加して、
あなたの何が変わりましたか?」

「淡路はたらくカタチ研究島」ができて4年。
それぞれの期待や夢をもって参加した3人のメンバーに、
4年間の仕事と自分の変化を聞きました。

インタビュー①
自称「淡路島を耕す女」の地域アドバイザー やまぐちくにこさん

自信をもてる仕事が、ふるさとを愛させてくれる。
だから、これからも島に仕事を創造していきたい。

Q. いただいたお名刺に「淡路島を耕す女」と書いてありますが、これは?

A. 外から島にやってきた人は誰とどう繋がったらいいのか分からなかったり、自分のアイデアを島でどう生かしたりしたらいいのか分からないものですよね。ですから「耕す女」という言葉には、島の外から淡路島に飛んできた人や仕事の種が上手く島に定着してほしい、そのために自分は島と種を繋ぐ役割をしたいという思いを込めています。それからもうひとつ、島に根付く凝り固まった価値観をほぐしたり、新しいことにチャレンジする土壌を島の中につくりたいという思いも反映されています。たとえば島には「都会へ行って一旗あげて来い」といった風潮があって、島の子どもは小さな時からそういう価値観のフィルターで島を見せられるので、島の良さが見えなくなってしまうんです。でも新しい価値観のフィルターで島を見れば、島のもつすごい魅力や資源が見えてくるはずなんです、かつての私がそうだったように。私のフィルターを変えてくれたのは、茂木綾子さんという写真家ですが、彼女は私に「こんなに素敵な島の魅力に気付かず、島を卑下するのは悲しいことだよ」と言い聞かせてくれたんです。

「生まれ育った淡路島が大嫌いだった」というやまぐちさん。ともに「はたらくカタチ」の地域アドバイザーをつとめる写真家の茂木綾子さんによって島を見る目が変わった。

Q. いただいたお名刺に「淡路島を耕す女」と書いてありますが、これは?

A. 外から島にやってきた人は誰とどう繋がったらいいのか分からなかったり、自分のアイデアを島でどう生かしたりしたらいいのか分からないものですよね。ですから「耕す女」という言葉には、島の外から淡路島に飛んできた人や仕事の種が上手く島に定着してほしい、そのために自分は島と種を繋ぐ役割をしたいという思いを込めています。それからもうひとつ、島に根付く凝り固まった価値観をほぐしたり、新しいことにチャレンジする土壌を島の中につくりたいという思いも反映されています。たとえば島には「都会へ行って一旗あげて来い」といった風潮があって、島の子どもは小さな時からそういう価値観のフィルターで島を見せられるので、島の良さが見えなくなってしまうんです。でも新しい価値観のフィルターで島を見れば、島のもつすごい魅力や資源が見えてくるはずなんです、かつての私がそうだったように。私のフィルターを変えてくれたのは、茂木綾子さんという写真家ですが、彼女は私に「こんなに素敵な島の魅力に気付かず、島を卑下するのは悲しいことだよ」と言い聞かせてくれたんです。

Q. その思いから「はたらくカタチ」が生まれたのですか?

A. そうですね。島を耕す具体的な方法を模索している時に、すでに厚生労働省のこの委託事業※で先行していた「九州ちくご元気計画」で開発されたモノやコトを見て、「これだ!」と思ったんです。「クリエイティブな仕事をしている人に関わってもらうことで、淡路島のポテンシャルが生かされ、それによって新たな生業ができる」というアプローチがいい、それがしたいと。そこで「元気計画」を手掛けていた事業プロデューサーの江副直樹さんにスーパーバイザーになってもらってできたのが「はたらくカタチ」です。要するに、私が「はたらくカタチ」の言いだしっぺということですね。

※厚生労働省のこの委託事業
実践型地域雇用創造事業のこと。詳しくは前ページのフロー図参照

同じく地域アドバイザーの建築家平松克啓さん(右)と「はたらくカタチ」の事務局スタッフとで次の展開についての打合せをする。

でも「はたらくカタチ」も27年度が事業の最終年度でもうすぐ終わってしまうんです。せっかくここまでやってきたコトや人を、事業が終了するからといってバラバラにしてしまうのはあまりにもったいないので、有志で「ハタラボ島協同組合」を立ち上げました。ここでは「はたらくカタチ」で得たネットワークを継承して、「はたらく力」「はたらく拠点」「はたらく仲間」をつくり継続させるための事業を展開していきます。ローカルな島だからこそ流れる時間や生まれる空気を大切にした事業を考えて実行し、それによってますます淡路島を耕したいと思っています。

インタビュー②
鶏糞で有機肥料「島の土」を商品開発した 北坂勝さん

自分のことをとても不幸だと思っていた5年前。
状況は変わらないのに、今は幸せ。

Q. かつてご自分のことを「すごく不幸だ」と思っていたそうですね?

A. 10年前に親父が亡くなり、呼び戻されるかたちで養鶏業(卵)を継いだのですが、全然好きな仕事じゃなくて、「ああ、この島でこんな仕事を一生続けて行くのか」と思うとものすごく憂鬱で不幸な気持ちでした。それが、5年ほど前に、パソコンを教えてくれる人を探していたら、都会から島に戻って来ていたデザイナーのM君に出会って、パソコンを習得しがてら一緒にロゴ入りの名刺を作ったんです。その時にM君がいろいろなことを聞いてくるんです。

「北坂さんはこの養鶏場をどうしたいですか?」とか「どんな卵を作りたいですか?」とか。今までそんなこと考えたこともなかったんですけど、ロゴを作るのに必要だというから一生懸命考えました。するとM君が「北坂さん、これがブランディングということなんですよ」って教えてくれたんです。それが不幸からの出口になりました。

「はたらくカタチ」のシステムを活用して有機肥料「島の土」を開発した北坂さん。

Q. かつてご自分のことを「すごく不幸だ」と思っていたそうですね?

A. 10年前に親父が亡くなり、呼び戻されるかたちで養鶏業(卵)を継いだのですが、全然好きな仕事じゃなくて、「ああ、この島でこんな仕事を一生続けて行くのか」と思うとものすごく憂鬱で不幸な気持ちでした。それが、5年ほど前に、パソコンを教えてくれる人を探していたら、都会から島に戻って来ていたデザイナーのM君に出会って、パソコンを習得しがてら一緒にロゴ入りの名刺を作ったんです。その時にM君がいろいろなことを聞いてくるんです。
「北坂さんはこの養鶏場をどうしたいですか?」とか「どんな卵を作りたいですか?」とか。今までそんなこと考えたこともなかったんですけど、ロゴを作るのに必要だというから一生懸命考えました。するとM君が「北坂さん、これがブランディングということなんですよ」って教えてくれたんです。それが不幸からの出口になりました。

Q. 鶏糞で有機肥料を開発するまでのお話を聞かせていただけますか?

A. ちょうどその頃「はたらくカタチ」の商品開発が始まって新商品のアイデアを公募していたんです。それで「島をブランディングした商品ができないか」と考えました。結果思いついたのが、鶏糞を使った有機肥料でした。うちの鶏舎から取れる鶏糞で有機肥料を作り、それで島の野菜を育てて、それらの仕事が雇用を生んでという「島素材の循環」を商品化しようと思ったんです。この循環を起こせる島素材は他にもあったので、それらを括って「島の土」というブランドにしたら面白いなと思って、「鋤(すく)ラボ」という研究グループをつくりました。今は、馬糞、豚糞、菜種カス、玉ねぎの残渣などで「島の土」のバリエーションを増やす取り組みをしています。

北坂養鶏場には約15万羽の鶏がいる。莫大な量になるその糞におが屑と特殊な菌を混ぜて有機肥料にしたのが「島の土」。まさに環境にやさしい廃物利用商品だ。

「島の土」は現在2種類ある。ひとつは鶏糞を使ったもの。もうひとつは菜種油の搾りかすを使ったもの。今後さらに種類を増やそうとグループをつくって研究中。

昨夏にコンテナを利用してつくった直売所。ここを拠点にイベントを開いたり、取材を受けたりできるようになった。生活者への直売のためのロゴやパッケージの開発もするようになった。

Q. もう不幸ではないようですね?

A. こういうことができるのも、島の恵みと親父が遺してくれた養鶏場があるからで、「俺はなんて恵まれていたんだろう」と気付いたのをきっかけに幸せになりました(笑)。M君と「はたらくカタチ」が幸せの種をくれたんですね。その種は、実は元からそこにあったんですけど、ずっと気付かなかったんですよね。幸せだったことに気付いたら幸せになったんです。不幸だった頃と状況は大して何も変わっていないのに、不思議なものですよね。

インタビュー③
伝統産業の灯を守る新しい瓦を商品開発した 興津祐扶さん

分業制が発達した淡路瓦に、
どの業者でも作れるシンプルな瓦で新風を。

Q. 400年の歴史を持つ淡路の瓦。多くの分業で作られるとか?

A. そうなんです。瓦には鬼瓦、熨斗(のし)瓦、軒瓦、袖瓦、巴瓦、桟瓦、冠瓦などの種類があって、普通の民家の屋根でも7~8種類の瓦が使われています。これらは種類ごとに別の瓦メーカーが作っていて、それらを集めてきて1軒の屋根が葺けるんです。この分業制は、需要が多い時には生産効率が良くていいのですが、昨今のように瓦の需要が少なくなると、どこかが廃業したりするとその部材の供給が止まり、屋根が葺けなくなるというリスクがあります。

鬼瓦を作る職人のことを鬼師という。興津さんの会社には現在4人の鬼師がいるが、さらに増やしたいと考えている。女性の鬼師を育てたいそう。

鬼瓦を作るメーカー「タツミ」の3代目となる興津さん。11年前に大阪から島に戻り、後継者となった。

Q. 今回「はたらくカタチ」で開発された「まちまち瓦」は、そうした課題の解決を目指したのですか?

A. そうです。僕たち瓦メーカーだけでなく、実際に瓦を葺いてくれる屋根屋さんや淡路瓦工業組合とも協力しあって、どの部材を作っている瓦メーカーでも、だいたい現状の設備で製造が可能な瓦を開発したんです。これなら、分業制にとらわれず、作る気があればどこの瓦メーカーでも作れます。僕はそのことにすごく魅力を感じて開発に参加しました。誰の利益になるとかならないとかではなく、メーカーが力を合わせて一緒に産地の灯を守るというスタンスが、今の淡路瓦が直面している状況にすごく合っていると思いました。

©淡路はたらくカタチ研究島

興津さんが「はたらくカタチ」で開発した「まちまち瓦」は、さまざまなサイズの瓦でランダムに葺いて屋根にいろいろな表情を出すことができる。

©淡路はたらくカタチ研究島

若い建築家が店舗設計に使いたいと問い合わせてくる。そんな時、興津さんは「瓦もまだ捨てたもんじゃない」と思うという。

Q. その後、試作品ができ、展示会などで披露されましたが、反響はいかがですか?

A. おかげさまで予想以上に手応えがあります。特に若い建築家さんが興味をもってくれているようです。用途としては、住宅より店舗とかインテリアなどに使いたいという引き合いが多いですね。僕は、これまで、衰退する瓦を守るための方法として瓦素材を使った他の商品を開発することばかりを考えてきたのですが、「まちまち瓦」に対する反響を見て、やはり今一度、本来の屋根材としての可能性を探究しなおしたいと思うようになりました。それによって雇用も拡大すれば、業界としてはいちばんいいカタチなのではないかと思いますから。

取材:2016年1月
撮影:狩野吉和(株式会社フレンズ)

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