ゼミナール

「住めば都」ゼミナール

わたしの居場所 ②

北御門 裕一さん × 「漬蔵たぞう」

2017年4月3日更新

人には誰しも自分の「居場所」があります。
そこにいると、ほっとする。自分らしくいられる。
そこに行くと、生き生きと楽しく過ごせる。
それがかけがえのない「居場所」です。
その人ならではの居場所を訪ね、そこに詰まった思いや、
そこが大事な居場所になるまでの物語を聞いてみましょう。

都会から農業を志して移住してきた若者が、築100年の漬物蔵の前に建つアパートに住み始めたことから物語は始まる。蔵と若者の出会いから、やがて生まれたのは新世代の漬物だった。

JR長崎本線にある小さな駅「肥前浜」。その駅前すぐのところに一軒の漬物屋があります。その漬物屋の築100年にもなる大きな蔵が今回の「居場所」です。ここを居場所とするのは北御門裕一さん、35歳。東日本大震災の年に福岡からこのまちに移住し、やがて漬物屋の主である田雑継市郎さんとの交流から、「百年ピクルス」と名付けたひとつの新しい漬物を生みだしました。

まるで体育館のように大きな蔵ですね? そして見るからに古い・・・。

築100年になる「漬蔵たぞう」という地元の漬物屋さんの漬物蔵なんですよ。5年前に僕が勝手に掃除を始める前は、梁も柱も床も埃とカビまみれ。社長が「自分が覚えている限り掃除をしたことがなかった」と豪語していて、蝙蝠なんかも住み着いてました。中には古道具や巨大な漬物樽があちこちに散乱していて、まるでお化け屋敷みたいな状態だったんですけど、僕が移住してきてから半年ぐらいかけて掃除してきれいにして、その後、好きな本とかソファーとかオーディオとか持ち込んだら、結構、居心地良くなったんです。今では入り口部分で小売りできるようになって、後ろはフリースペース。仲間もよく遊びに来るし、時々、音楽ライブとか映画の上映会とかもするんですよ。なんせ広いですから、いろいろ使えるんです。

蔵は50メートルはあろうかという奥行。奥部は昼なお暗い。

入り口付近で「漬蔵たぞう」の漬物と地元の産品を販売している。

くつろぎスペースには、お遊びで一人ライブができるスポットが作ってある。この日ギター片手に熱唱していたのは長崎から仕事仲間と観光に来て蔵に立ち寄った男性。

肥前浜のまちなみ。江戸時代から酒造りが盛んで、今も多くの酒造所が軒を並べる。

移住してきて、この蔵の掃除を?

そうなんです。僕、それまで博多で音響技師をしてたんですけど、東日本大震災の時に「食べ物を自分で作れるようにならなきゃな」と思ったんです。それで「それなら農業だろう」なんて短絡的な考えで、友達のふるさとだったこのまちに移住してきて、友達の紹介でこの蔵の目の前に建ってる漬物屋の従業員寮を兼ねたアパートに住むことになりました。で、いざ農業を始めようとしたけど、農地も持ってないし、農家の知り合いもないし、実はまったくのノーアイデアだったことに気付いて「こりゃダメだな」って(笑)。その間、いろいろと相談に乗ってもらっていたのが、この蔵の主で漬物屋の4代目の田雑社長だったんです。それである日ふと社長に「社長はこれから何かやりたいことないんですか?」と聞いたんですよね。そしたら出てくる出てくる、社長の年齢からすると考えられないぐらいたくさんの夢やビジョンを語り出して、もうびっくりでした。「それ、ぜひ実現させましょうよ!」ってことになって、その第一歩として、まずこの蔵を片付けて、何かに使えるようにしよう、と。それで暇な僕が掃除を始めたというわけです。後から聞くところによると、社長は「あんなこと言っててもどうせ長続きしないだろう」と思ってたそうですけどね(笑)。

「漬蔵たぞう」は田雑社長が命名した漬物屋の呼称。正面に見えるのがJR長崎本線「肥前浜」の駅。

蔵の外観。右手にあるのが、北御門さんが住む従業員寮兼アパート。

柱や梁を洗浄し、散乱するガラクタを片付け、お気に入りの雑貨や家具を持ち込んで、半年がかりで自分の「居場所」をつくった。

「どうせ長続きしないだろう」と踏んでいた田雑社長が思い違いに気付いたのは、北御門さんが高圧洗浄機を使って全身ずぶ濡れになりながら、蔵の隅々までをきれいにし始めた時。その姿を見て北御門さんの本気を感じた田雑社長は、彼がピクルスを作りたいと言い出した時、自分の持っている知識や技術や場所を惜しげなく提供してくれました。

噂をすればなんとやら、こちらに歩いてくる方はひょっとして?

そうです、そうです、田雑社長です。社長、ちょっとこっちに来てください。はい、こちらがこの漬物蔵の4代目で、漬物づくりのスペシャリストでもある田雑継市郎社長です。社長はほんとにシャイで、人としゃべるのが苦手で、できれば一日中でも一人で実験室に閉じこもって味の研究や実験をしていたい人なんです。実は「百年ピクルス」の味も、田雑社長が実験室にこもって作ってくれたんですよ。僕はといえば、「もっとああして、こうして」と口と身ぶり手ぶりで社長にお願いしてただけ。するとその僕の勝手な注文を社長が数字に直して調味料を調合して、「北御門くん、こんなにマイルドにしたらピクルスじゃなくなるよ」なんてブツブツ言いながら、注文通りの味をつくり出してくれたんです。田雑社長には、ほんとに一から十までお世話になって、助けてもらいました。

[左] 田雑継市郎社長。北御門さんの人生を変えた人といっても過言ではない。 [左下] 「百年ピクルス」のマイルドな味は、北御門さんの味覚センスと田雑社長の技術の賜物。 [下] 二人は、年齢は離れているが、お互いに相手にないものを惜しみなく提供しあいながら、蔵での時間を共有している「同志」だ。

えーっと、蔵の掃除からピクルスづくりまでの間はどう繋がるのですか?

蔵の掃除をしている間に恒例のまちのお祭りがあって、そこに「漬蔵たぞう」が毎年漬物を出すんです。その中にトマトのピクルスがあって、それを食べたとたんに「なにこれ⁈」って。すごく美味しかったんですよね。そしたら社長が、「あのハンバーガーに入っている酸っぱいキュウリと同じやつだよ、ピクルスだよ」って言うので、「え、あれって、大嫌いでいつもつまんで出してるんだけど、これがそれと同じもの⁈」って(笑)。それがきっかけで「僕みたいな、漬物や酸っぱいもの嫌いな人でも食べられるピクルスがあったらいいな」と思い始めて、「じゃあ、ひとつ自分で作ってみるか!」と。幸い周りにいい野菜を作っているIターンやUターン者の仲間が何人もいるし、漬物の師匠はすぐそばにいるし、エンジンかかって集中して、なんと2週間ぐらいで味からロゴからパッケージから全部できてしまったんですよね。

「百年ピクルス」5種。左から椎茸、菜の花、ミックス、セロリ、大豆。漬け込む素材は季節によって変わる。

旬の野菜の味がよく分かるピクルスを目指している。だから材料は新鮮かつ上質なものを厳選する。

築100年の蔵の中で生まれ、作られるので、その名も「百年ピクルス」。
ロゴは「新しい漬物と古い蔵の融合」をテーマに友人の妹さんにデザインしてもらった。

できあがったピクルスはどのように売ったのですか?

とりあえずは蔵に置いて、社長の漬物と一緒に売ることにして、次に「誰でも買える所では売りたくないな」と思って気に入る売り場を探してたら、とある酒屋さんが酒のおつまみとして置いてくれることになって、やがていつも蔵まで買いに来てくれていた花屋さんが「花用の冷蔵庫があるから、うちにも置いてみようよ」と言ってくれたりもして、そうするうちにインターネットでもぼつぼつ売れ出して、取材されるようになったら記事を見た人から取り寄せで注文が来るようになって、みたいな感じです。まあ、波はありますけど、じわりじわりと売れるようになってきていて、ちなみに今は1ヵ月待ちの状態なんですよ、全部手作りだから、そんなに量が作れないこともあって。

蔵の奥にある「百年ピクルス」の作業場。蔵の中のいくつかの場所を転々として、ここに落ち着いた。

頼りになる女性スタッフ2名はIターン者と地元っ子。まちの名産品であるみかんを収穫するアルバイトで知り合い、「百年ピクルス」の作り手になった。「土地に求められる仕事をして生きることは楽しくて嬉しい」という。

包丁は隣町の名工が野菜を切りやすいように作ってくれたオリジナル品。しかし彼が有名な包丁鍛冶とはまったく知らなかった。その匠の作るパン切りナイフは、いま欧米のシェフの間で引っ張りだこだとか。

まさにこの蔵から生まれ育ったピクルスですね?!

ほんとうにそうですね。ここに僕の欲しいものや人が自然に集まって来て、百年ピクルスを育ててくれている感じです。やはり100年の歳月を経た蔵が放つ力は大きいです。実は、社長の漬物屋には今のところ後継者がなくて、従業員の人たちもかなり高齢化してきているので、いろいろな人を集めてくれているこの蔵は、次代への事業継承を可能にする「最後の砦」でもあると思うんです。僕がそうだったように、この蔵に惹かれて若い人が集まって来て、その中から「漬蔵たぞう」を支える人や後継者が現れて、この蔵の中で100年続いた漬物の技術を継承してくれたら、それはすごいこと、素晴らしいことですよね。え、僕が後継者に? う~ん、それはどうかなあ。まだやり始めて3年しか経ってないし、今は「百年ピクルス」作るのでいっぱいいっぱいですから。社長にも「まずは百年ピクルスを極めろ」と言われてて、それはその通りだと思いますし。ま、蔵の中で試行錯誤しながらじっくり考えてみます。

100年を長らえた大きくて不思議な蔵。
その中で未来をつくろうとしている父子のような二人。
いま、蔵は二人の居場所、そして二人は蔵の居場所。
二人が出会ったことで、蔵は再び新しい生命を得て、
次の100年を生きようとしています。

「漬蔵たぞう」の田浦繁利工場長は76歳。田浦さんがいなければ工場は一日も回らないし、作業も早い。この技を継ぐ若者の出現が望まれる。

後継者の呼び声も高い北御門さんだが「漬物は奥が深い。自分はまだまだ」と謙虚。

百年ピクルス:
http://100yearspickles.com/

Photographer's Eyeフォトグラファーズ・アイ

取材:2017年3月
撮影:狩野吉和(株式会社フレンズ)

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