ゼミナール

「住めば都」ゼミナール

住めば都でした ④

中西悦子さん(サックス奏者)×神戸・塩屋(兵庫県)

2016年6月1日更新

縁あってある土地に巡り合い、自分らしく暮らしている。
そんな人を訪ねて、その土地の魅力や生活の様子、
そして日々の思いを聞いてみます。
そこはなぜ、あなたの「住めば都」になったのでしょうか。
人とまちと暮らし方へのこだわりが織りなす、
小さいけれど、思いがつまった物語を探し出しに行きましょう。

中西さんの住まいはこの坂道を上がりきったところにある。道路が狭くタクシーは通わず、坂が急で自転車も使えないので歩くしかない。文字通りの「徒歩圏サイズ」のまちだ。

1年半前に、暮らしと気持ちを変えたくて神戸の海辺のまち・塩屋に引っ越したサックス奏者の中西悦子さん(38歳)。歩いて暮らすのにぴったりな小さなまちは、中西さんの日々に予想以上の変化をもたらしてくれました。ここで出会った新しい仲間や新しい仕事を味方にして、より自分らしい生き方を見つけ、実現したいと言う中西さん。異人館の間を縫って走る細い坂道を散歩しながら、中西さんとまちの間に生まれた「友情物語」を聞きました。

今日はお天気が良くてとても気持ちがいいですね。さて、まずはこの海辺のまちに引っ越してきたいきさつからお聞かせいただけますか。

それまで10年間ほど大阪の下町に住んでいて、そこはそこでとても暮らしやすいまちでした。でも仕事とプライベートの両方に行き詰まりを感じる時期に差し掛かって、「思い切って違うまちに住めば、状況が変わるかも」と思ったんです。変えたい状況は、具体的に言うと3つありました。まず、大手の音楽教室でサックスを教える仕事を辞めたい。次に、ひとり暮らしを止めて誰かと一緒に暮らしたい。そしてずっと憧れていた海の見える家に住んでみたい。この3つの変化をかなえられる所に住もうと思って物件を探しました。すると良さそうなシェアハウスが神戸の海辺のまちにあるということで見に行ったのですが、その家はどうもピンと来ませんでした。

今までと違う暮らしと音を求めて塩屋に来た中西さんだったが、今、予想を超えた新しい風が吹き始めている。

塩屋のまちが一望できる丘。ここから見ると、塩屋が海と山に挟まれた小さなまちであることが分かる。この風景と迷路都市のような佇まいを愛してやまず、長く住み続ける人が多い。

5月の節句の頃、商店街の横を流れる小さな川を飾るのは住民が手作りした鯉のぼり。このまちの人は、まちを使って遊んだり楽しんだりするのが好きで上手。次々とお祭りやイベントを考え、実行する。

さてどうしようかと困って、前に一度だけ買い物をしたことがある古着屋があったことを思い出して、その足でオーナーに相談に行ったんです。するとオーナーは「隣町の塩屋にまち起こしの活動をしている人がいて、彼なら情報をいっぱい持っているはずだから相談してみるといいよ」と、ある人に繋いでくれたんです。

そのある人が、塩屋にある異人館「グッゲンハイム邸」のプロデュースや管理をしている、まさに塩屋のリーダーというべき存在の森本アリさんでした。アリさんはすぐに親切な不動産屋さんを紹介してくれて、ほどなく今の住まいが斡旋されました。

そこは坂の上に建っている2階建てのかわいいアパートで、窓からは一面に海が見えて、私が思い描いていた通りの環境でした。こうして住まいが決まり、私の塩屋暮らしが始まったというわけです。

住んでみたら塩屋はどんなまちでしたか?

とにかく人懐こいまちです。お店で買い物をすると必ずと言っていいほど「あなた、新しく来た人?」って声を掛けられます。まちが小さくて、駅前から続く車も通れないような細い道沿いに魚屋さんや果物屋さん、八百屋さん、お惣菜屋さんなどが点々と店を出していて、その合間にバールやお弁当持ち込みOKの喫茶店があるんです。坂が多いから自転車も使えなくて、文字通り「徒歩圏サイズ」なんですよね。だからでしょうね、住民一人ひとりの顔や情報を、まちがちゃんと分かっている感じなんです。

そのうちにお店の人とちょっと親しくなると「何してるの?」と聞かれて、「サックス吹いてます」と答えると、「それならあの人に会ったらいいよ」って、次々と「まちの人材」を紹介してくれるんですよ。それがまたものすごく絶妙で、「あ、こういう人に会いたかった!」とか思う人にちゃんと引き合わせてくれるんです。そんなこんなで引っ越し後あっという間に、ご近所友達や知り合いがたくさんできました。

塩屋に引っ越してひとつだけかなわなかったのが「シェアハウスに住みたい」という願いでしたけど、まち全体がシェアハウスみたいだから、ひとり暮らしでも全然寂しくなくて、気持ち的にはシェアハウスの住人なんですよ(笑)

駅の北側に出るとすぐに商店街が始まる。小さな店ばかりで店数もそう多くないのに、端から端まで歩くと暮らし向きのものはたいてい何でも揃う。

果物屋の女将さんは、前を通ると声を掛けてくれる。店頭にはいつもみずみずしい旬の果物が並んでいて、ついつい財布のひもが緩みがちになる。

商店街の入り口にある魚屋さんの自慢は、昼にあがった瀬戸内海の魚。鮮魚だけでなく寿司やお刺身なども売っているので、ファミリーだけでなくひとり暮らしの人にも人気がある。

鄙びた温泉に行くのが趣味のおじさんが営む八百屋さん。店先には訪ねた温泉を描いた自作のスケッチ画が吊るしてあって、関心を示すと田舎や温泉に関するディープな情報を教えてくれる。

飲み物を注文すればフードが持ち込める、いかにもこのまちらしい喫茶店。魚屋のおいしくて安い海鮮チラシを持ち込んで食べ、食後はマスター特製のブレンドコーヒーというのが、中西さんおすすめの塩屋ランチ。

こんな塩屋のまちは、中西さんの音楽や仕事にも変化をもたらした。今まで知らなかったミュージシャンや音楽の場と出会い、新しいユニットも結成し、自分がいいと思う教え方でレッスンができるようにもなった。今、中西さんは、改めて「まちの持つ力」を見直し、このまちと自分の「もっと作用しあえる関係」を模索している。

音楽シーンも変わったようですね?

 神戸市から西のまち(須磨、塩屋、垂水など)には、都会とはちょっと違った、海辺のまちならではの音楽シーンがあります。音そのものだけでなく、ライブハウスの雰囲気や聴きに来てくれるお客さんたちの様子も、あんまり頑張ってなくて優しくてナチュラルで心地いい感じです。ここへ来て私も少なからずそうした空気に感化されました。

塩屋で生まれ育ったギタリストの鈴木さんと、半年前に「Ruff」というユニットをつくり活動している。最近、音や呼吸が合ってきて、ふたりらしい音楽が生まれつつある。

中でも大きかったのは、塩屋生まれ塩屋育ち、「メイドイン塩屋」のギタリスト鈴木健一郎さんとの出会いです。実は、彼と最初に会ったのは電車の中なんですよね。塩屋駅には各駅停車の電車しか停まらないのですが、ある時、その各停電車で私の向かいに、一人の男性がギターを持って座ったんです。

音楽一家に生まれ、音楽に包まれてのんびりと穏やかに育った鈴木さん。そんな彼の奏でるギターの音には、いつまでも聞いていたくなるやさしさと癒しがある。

グッゲンハイム邸で知り合った男性3人のユニット「SANDHYA(サンディハ)」と意気投合し、「Ruff 」とのコラボでライブを開いた。転居後、こんなふうに気の合うミュージシャンと知り合うことが増え、音楽活動にも変化が生まれてきている。

見るともなしに見ていると、彼の着ている服の色がとても好みで、「いい感じの人だなあ。こんな人とセッションしてみたいなあ」と思ったんです。その時はそれで終わったんですが、それからしばらくして、ふたりの違う音楽仲間から、同じ日に「この人(の音)、きっと悦ちゃんに合うと思うよ」と紹介されたのが彼だったんです。「あ、電車の人だ! 」って(笑) これがきっかけでふたりで「Ruff(ラフ)」というユニットを結成することになりました。塩屋っ子の彼の曲や音は、緩やかで優しくてのんびりしていて、まさにこの小さな海辺のまちから生まれる音楽。一緒にやっているうちに私の音にもそういう色が加わり、それに連れてライブの場所やテーマやセッションするミュージシャンも少しずつ変化して来ています。暮らしと気持ちと音が次第にひとつになってきた感じです。

サックスを教える仕事はどうなりましたか?

塩屋のランドマークである「グッゲンハイム邸」をレッスン場として借りられることになり、念願だった自分の流儀で教えるサックス教室が実現した。

引っ越しを機にサックスの教え方を変えることは重要な課題でした。というのは、実はこれが引っ越しを決意した直接的な要因だったからです。

私はそれまで10年に渡り大手の音楽教室のサックス講師をしていましたが、そこでは決められたカリキュラムとシステムに従うことが義務付けられていました。

それは講師と生徒に公平を期すためで、教室を運営する側にとっては当然のことなのですが、私としては次第に「もっとこう教えてあげたい」とか「この人にはこんな曲を吹かせてあげたい」といった思いが強くなっていき、ついに気持ち的にこの状態のまま講師業を続けることが無理になってしまいました。そこで音楽教室で教えるのを止めて、ついでに住む場所も変えて、心機一転出直そうと決断したんです。

でも知らない土地で、生徒さんと練習場所を一から探して教室を開くのはそう簡単なことではありません。どうしたものかと悩んでいたのですが、塩屋に来てすぐにその悩みは解消しました。私のライブを聴いた人が「教えてもらえませんか?」と言ってきてくれたり、森本アリさんが、自分が管理している異人館「グッゲンハイム邸」を「レッスンや練習に使っていいよ」と言ってくれたりしたんです。とてもありがたいことですよね。こうして模索していた講師業も続けられることになりました。今は、生徒さん一人一人に、ベストだと思う方法やスピードで教えられて、私自身が教えることをすごく楽しめています。

生徒さんは、ライブで演奏を聴いて「教えてほしい」と志願して来てくれる人が多い。この生徒さんもそのひとり。音楽経験ゼロで最初は楽譜も読めなかったそうだが、レッスン10回目のこの日、中西さんに助けられながら簡単な曲が吹けるようになっていた。

これから、このまちや仲間や、
ここで生まれた音とどういう風に暮らしていきたいですか?

私は偶然このまちに住み始めたことで、素敵な異人館で教室を開けたり、新しいユニットをつくったり、心地よい仲間ができたりと、ものすごく贅沢な環境と時間をもらったわけです。となると、「この恵まれた環境の中で、これから自分自身をどう生かしていくか」ということを考えざるを得ません。それをより真剣に深く考えるために、昨年末に、転居前からの関わりや仕事をかなり大胆に再整理しました。その結果、何が生まれるか、どんな変化が起こるかはまだ見えてきていませんが、きっとそう遠くなく何らかの反応が出るだろうと思っています。今までの自分を「断捨離」した責任を果たす意味でも、より自分らしい、そして納得できるこれからの生き方や暮らし方を見つけなくてはと思っています。

坂道の途中のお地蔵さんの前に並べ置かれた椅子は中西さんお気に入りの休憩スポット。ここでおやつを食べながら、あれこれ考えたり、ぼーっとしたりする。「こんなことも含めて、このまちとはきっと長い付き合いになると思う」と言う。

取材:2016年5月
撮影:狩野吉和(株式会社フレンズ)

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