ゼミナール

「住めば都」ゼミナール

住めば都でした ①

ピーター・ハーモンさん(陶芸家)×丹波篠山(兵庫県)

2015年9月30日更新

縁あってある土地に巡り合い、自分らしく暮らしている。
そんな人を訪ねて、その地の魅力や生活の様子、
そして日々の思いを聞いてみます。
そこはなぜ、あなたの「住めば都」になったのでしょうか。
人とまちが織りなす、小さな物語を訪ねましょう。

周りを田んぼと畑に囲まれた約360坪の敷地に建つ古民家がピーターさんの自邸。この古民家はおよそ築150年、明智光秀に滅ぼされた戦国武将の元家来(帰農武士)ゆかりの家だったのではないかと推測される。

米国ネブラスカ州出身のピーター・ハーモンさん(59歳)は、1981年、25歳の時に、国際交流の勉強のために来日しました。6年間の都会生活の後に、兵庫県中東部にある城下町「丹波篠山」(篠山市)に移住。ここで窯を開いて、陶芸家としての道を歩み出しました。

移住先に丹波篠山を選んだのはなぜですか?

来日35年を迎えるピーターさん。長年続ける茶道のおかげで、着物姿もすっかり板についた。

実はたまたまでした。当時、アメリカ時代から学んでいた陶芸を本格的に仕事にするために、窯を開ける移住先を探していたので、丹波篠山に先に窯を開いていたアメリカ人の陶芸家を訪ねて相談したところ、地元の不動産屋さんを介してこの家を紹介されたのです。案内された時はもう夜になっていて、懐中電灯で照らしながら家を見たのですが、なんせ真っ暗で家の詳しい様子はあまり分からなかった。家内なんか、暗くて怖くて家の中に入れず、玄関からこわごわ中を覗いていたんですよ。

それでも、その場で購入を決めました。だって、窯場にするのにぴったりなコンクリート造りの車庫も、陶房にできる納屋もあったし、母屋はぼろだって住めますから。これ以上望むものは何もないでしょう?

陶芸で生きていくために篠山に来たというピーターさん。仕事場で作品と向かい合う姿が、その選択が正しかったことを物語っている。

透明感のある青白磁の肌を、流れるような曲面で切り取り景色をつけた花入れや蓋物がピーターさんの代表作。
茶道具の作品も多いが、それらは茶の湯の世界をよく分かった者でこそ作れる姿かたちと趣をもっている。

しかし、暗闇のなかで即決した家は、その時すでに推定築120年。あちこちが傷んでいた。そして家の中に出没するネズミを捕ってもらうために猫を飼う。そこには、都会に住んでいた今までとは全く違う環境での暮らしが待っていました。

慣れない田舎暮らしに、苦労されたのでは?

いや、全然。よく「田舎に住むと、人付き合いや共同作業などが大変でしょう?」と言われるけど、僕はむしろそういうコミュニケーションが好きで、みんなでやるの大賛成という考えですから。溝普請、夏の一斉草刈り、秋祭りなど、田舎独特の行事になんでも積極的に参加しました。それに移り住んだ「味間奥」という集落がとても良かったんです。隣のおばあちゃんをはじめ、集落のみんなが温かく迎えてくれて、付き合いもしやすかった。これはすごくラッキーなことでした。

花が大好きな奥さまが、玄関に作っている迎え花のしつらえ。花は庭や里で摘まれ、次々に生けかえられる。

時間をかけて少しずつ、自分たちらしい家と庭と暮らしをつくってきた。庭の一画にある緑に囲まれたベンチは、そんな日々を振り返りながら静かに心地よい時間を楽しむ、とっておきの場所。

家も、最初は「これ、どうしよう」と思うほど傷んでましたけど、アメリカで父がする本格的なDIYを見慣れていたおかげで、かなり自分で直せました。そのうちお隣から畑を借りて菜園を始めたり、仕事場を広げたりして、少しずつ「自分のしたい暮らし」をつくりあげていったんです。そういう毎日を大変だと思うことはなかったですね。

丹波篠山はピーターさん一家に合っていたのですね?

当時3歳だった娘の様子がそれまでとは全然違ったのを見て、来たその日からそう思いました。もう目がキラキラしてね。まあ、家についてはずい分と手を入れる必要があって、本当に満足いくまでには20年ぐらいかかりましたけれどね。できるところは自分でやりましたが、庭や屋根、土壁や畳、大幅な内部の改造といった専門の職人さんを頼まなくてはいけない部分は、お金が貯まったら直してもらうということの繰り返しでした(笑)。

7年前に、屋根を銅板葺にして、茶室と水屋をつくって、ようやくほぼ理想通りの住まいになりました。一人娘も無事に結婚して、今は長年思い描いていた「陶芸と茶道三昧の暮らし」になりつつあります。あ、そうだ、最近、茶道の弟子ができたんですよ。うちの庭の管理をしてくれている若い庭師さんです。「庭を仕事にするなら茶道を知らなくてはならないと思った」と言って入門を志願してきたんです。立派な心掛けですよね。だから彼には私の知っていること、全部教えたいと思っています。

7年前につくった念願の茶室は、露地の飛び石をつたってにじり口から入る本格的なもの。毎年開かれる地域の「丹波茶まつり」の濃茶席もここに設けられ、ピーターさんは2日間で約100人の来客にお点前を披露する。

最後に、丹波篠山をピーターさんの言葉で語ってみていただけますか。

「自立した文化とプライドがある土地」ですね。

ここは大阪から電車で1時間ですが、ベッドタウンではないんですよ。古くから京都への交通の要所で、まちのシンボルになっている篠山城は、戦国時代を終わらせた徳川家康が豊臣方の外様大名や西国大名を抑えるために藤堂高虎に命じて築いた天下普請の城です。このような歴史あるまちですから、ほぼすべてのことを都会に頼らずに地元で完結させる力を備え、さらにそこにご城下ならではの誇りと文化が加わっています。

一方で名だたる食材の名産地でもあります。
こうした懐の深い土地柄だから、僕もここで茶道が続けられていると思う。田舎だけど茶道に対応できる職人さんや店が存在して、「侘び寂び」が語り合える人がいて、レベルの高い茶会も開ける。こんな土地に出会えて、私は幸せでしたね。

27年前に茶道具を作るために始めた茶道だが、敬服する師に巡り合い、人生の一部になった。「陶芸をやめることはあっても、お茶をやめることはないと思う」と言う。

玄関を入ってすぐのところに二間続きの風格ある和室がある。ピーターさんが座る奥の和室の一隅には炉が切られていて、大寄せの茶会もできる。

Photographer's Eye
~カメラがとらえた「住めば都でした」~

取材:2015年9月
撮影:狩野吉和(株式会社フレンズ)

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