まりも図書館

3月の2冊

「三陸海岸大津波」 吉村 昭

「ミスターオレンジ」
トゥルース・マティ 作 野坂悦子 訳 平澤朋子 絵

2017年3月1日更新

「三陸海岸大津波」

吉村 昭 著

マリモリビングTwitterにもよく登場する寺田寅彦が、"しかし困ったことには「自然」は過去の習慣に忠実である"と「津波と人間」について書いている。頑固に、保守的に執念深くやって来る、と。東日本大震災で身をもってそのことを知った私たちだが、40年前の1970(昭和45年)には記録文学の名手、吉村 昭によって三陸沿岸を襲った3つの大津波を記録した書が世に出されていた。3つの大津波とは、「明治29年の津波」「昭和8年の津波」そして「チリ地震津波(昭和35年)」である。

吉村氏はもともと三陸海岸が好きで、北は岩手県久慈から南は宮城県女川あたりまでを、海岸伝いにバスに乗ったりトラックに乗せてもらったりして何度か旅をした。ある時、海辺の小さな村落が、「呆れるほど厚く堅牢そうな」防潮堤に囲まれているのを見てその異様な印象に、またある婦人の「津波に追われながらふと振り向いた時、二階家の屋根の上にそそり立った波がのっと突き出ていた」という体験談に触発されて津波を調べたいと思うようになったと書いている。昭和45年、43歳の時。

明治29年の6月15日は陰暦の5月5日で端午の節句。家々で祝いの酒宴が行われていた。吉村氏が昭和45年にこの津波の体験談を聞けたのはわずかに2名の老人だけだったが、その一人で85歳の老人は(当時10歳)「端午の節句の夜、家で遊んでいると、突然背後の山の中からゴーッという音が起こった。祖父が"ヨダ(津波)だ!"と叫んだ。山の傾斜を夢中で駈け上がり、翌日おそるおそる家に戻ってみるとおびただしい泥水に混じって漂流物が溢れていた」と証言した。老人の家は当時から高い丘の上に立っており、吉村氏は「津波が50メートルの高さにまで達したという事実は驚異であった」と述べている。
三陸3県でもっとも被害が大きかった岩手県だけでも、死者は22,565名、負傷者6,779名、流失家屋6,156戸に及んだ。東日本大震災の被害と比べてもその凄まじさがわかる。

明治29年の大津波から37年後、昭和8年の大津波は3月3日(やはり節句なのは偶然だろうか‥)。午前2時半過ぎの強震に驚いた人々は家から飛び出たものの震動がおさまると布団の中にもぐり込んだ。というのも気温が零下7.8度から17.1度と極寒だったこと、三陸沿岸に伝わる言い伝え「冬期と晴天の日には津波が来ない」を信じていたこと。地震後30分ほど、眠りについた人々を大津波が襲った。
もっとも大きな被害を受けた岩手県閉伊郡田老村に残されていた小学生7名の作文が掲載されている。司書まり子が胸を突かれたのは3年生の大沢ウメさんの短い作文。「下へおりていって死んだ人を見ましたら、私のお友だちでした。私はその死んだ人に手をかけて"みきさん"と声をかけますと、口から、あわが出てきました」。この地方には、死人に親しい人が声をかけると口から泡を出すという言い伝えがあり、幼い死体を囲んでいた人たちがこれを見て涙したという話を、吉村氏は40代半ばになったウメさんから聞いている。

大漁、地震の続発、井戸水の減少や混濁、沖合の発光、ドーンという砲声様の音。明治29年と昭和8年の津波は前兆が驚くほど似ているが、昭和35年のチリ地震津波は前兆がなく、漁師の証言によると「のっこ、のっことやって来た」という。震災は忘れた頃にやって来るけれど、その姿は一様ではないということか。
この調査を終えた吉村氏は、「私は、津波の歴史を知ったことによって一層三陸海岸に対する愛着を深めている。屹立した断崖、連なる岩、点在する人家の集落、それらは、度重なる津波の激浪に堪えて毅然とした姿で海と対している。そしてさらに、私はその海岸で津波と戦いながら生きてきた人々を見るのだ。」という一文で締めくくっている。自然の脅威を知ってなお、恵みに感謝しながら"その土地で生きる"ということの意味についてあらためて考えさせられる。移住ブームの昨今だからなおさらのこと。2006年に亡くなった吉村氏が東日本大震災を体験していたら、今も三陸海岸を歩いておられるだろう。3月の1冊としてぜひ一読を勧めたい。

よしむら・あきら
1927年、東京生まれ。学習院大学中退。66年「星への旅」で太宰治賞を受賞。同年「戦艦武蔵」で脚光を浴び、その後菊池寛賞をはじめ数々の賞を受賞。2006年7月31日永眠。

文春文庫・本体438円+税

「ミスターオレンジ」

トゥルース・マティ 作  野坂悦子 訳  平澤朋子 絵

「まりも図書館にぴったりの本があるよ」と、司書のJさんが教えてくれたのはオランダの児童文学書『MISTER ORANGE』の日本語版。手に取ると、挿絵は「五感インテリアゼミナール/温故知新のインテリア」のイラストを描いてくださっている平澤朋子さんだった。http://marimoliving.jp/gokan/onnko/05/index.html
表紙の絵は読了後にあらためて眺めると一層味わい深いのだが、まずはさらりとページを開こう。

物語の舞台は1943年ニューヨーク。"オレンジ配達のぼうや"ことライナスは、アプケ兄さんが戦争に行ったあと、家業の八百屋の配達をすることになった。6人兄弟のライナスの家では、靴と家の用事を順番に繰り下げるのが習慣なのだ。(そういえば日本でも昔は"おさがり"という言葉があった)。
初めての配達の日、ライナスは五十九番街のビルに住むひとりの画家と出会う。出会いのシーンが美しい。
ごほうびだよ、受け取って! とオレンジを1個放り投げる画家。はき慣れない靴のせいで階段を踏みはずすライナス。画家がばんそうこうを探す間にライナスが見た部屋は、どの壁も白く塗られていて、床以外は椅子もテーブルも棚も全部白い。ものがいっぱいで、うす暗い自分の家とも知り合いのどの家とも違う部屋。
あたり一面真っ白な中に、ライナスは色のついた四角を見つける。赤、青、黄の三色だけ。「未来の色なんだ。わたしはその色しか使わないんだよ」。

こうしてミスターオレンジと呼ぶようになった画家と少年との交流が始まる。ナチスを逃れてヨーロッパからニューヨークへやってきた画家と、志願して軍隊に入りヨーロッパへ渡って行った兄さん。歴史の重苦しさが底に流れているからなおさらだろう、白い部屋の"陽気な感じ"や"健康にいいんだ"というオレンジのみずみずしさや、ふたりの会話の明るさが対照的に際立つ。
「もしも部屋にあるもの同士をうまく調和させることができれば、部屋全体が美しくなり、絵はいらなくなる」と画家。「部屋中が! っていうか家中が!」と驚くライナスに画家が言う。「ひょっとしたら未来には、町中を一枚の大きな絵にできるかもしれない」。

物語のなかでは触れられていないけれど、画家ミスターオレンジはオランダ生まれのピート・モンドリアン(1872〜1944年)のこと。本書はハーグ市立美術館で開催されるモンドリアン展のために著者トゥルース・マティに依頼されて書かれたものだという。実際にモンドリアンは引っ越しするたびに壁を白く塗り、赤、黄、青を塗った厚紙を壁に貼りつけ(色テープを見つけてからは色テープを使って)、最高のバランスを探し続けた。

物語に戻ると、画家が肺炎で亡くなった後、色テープをいっぱい貼りつけた未完の絵「ヴィクトリー・ブギウギ」とライナスが再会するプロローグとエピローグ(1945年3月、ニューヨーク)が切なく印象的。ミスターオレンジとライナスがブギウギを踊っていると思われる表紙の平澤さんの絵を飽きずに眺めている司書まり子。マリモリビングの視点で紹介したが、ライナスの成長物語として読むもよし、ニューヨークのモンドリアン物語として読むもよし。お気に入りのジャスを流しながら読むのはいかが?

著者 トゥルース・マティ
編集者を経て、2007年に『出発時間』(未邦訳)で児童文学作家デビュー。1作目に続き2作目の『ミスターオレンジ』でバチェルダー賞を再受賞。

訳者 のざか・えつこ
翻訳のほか、JBBY(日本国際児童図書評議会)の理事、「紙芝居文化の会」海外統括委員としても活動。

絵 ひらさわ・ともこ
武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科卒業。装画と挿絵を手がけた本に、『親子あそびのえほん』(あすなろ出版)、『ニルスが出会った物語』シリーズ(福音館書店)など多数。

朔北社・本体1,500円+税

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