まりも図書館

11月の2冊

「このあたりの人たち」 川上弘美

「さあ横になって食べよう」
バーナード・ルドフスキー=著 多田道太郎=監修 奥野卓司=訳

2016年11月1日更新

「このあたりの人たち」

川上弘美 著

"このあたり"の語感に惹かれた司書まり子。
1編が4ページに満たない短い物語が26おさめられている。余白が多く、こういう本はうっかりするとあっという間に読み終えてしまいそうで、活字を追うスピードギアをカチカチっと数段落としてから、ゆったりとページをめくる。

どの短編にも、"このあたり"に住む、変わった人、不思議な人、妙な人が登場する。のっけの1話には、欅の木の下で白い布をかぶっている子ども(名前はない)。かくれんぼをしているわけではなく、「住んでいる」のだという。その子どもがなぜだか"わたし"の家に住みつき、三十年そのまま居つづけるというお話(『ひみつ』)。

戦争でなくした片目にはめた義眼を、「ほら」と言って出しては町の人を怖がらせる農家のおじさん。「ハンコおしますか」など3種類くらいしか口にしないお兄さん。朝7時半から夜11時まで開店しているけど、町の人は誰も行かない「スナック愛」のおばさん。従順な影と反抗的な影、影がふたつある影じじい。
こうしたヘンテコな人に、"わたし"や友だちのかなえちゃん姉妹などが絡んでいく。そしてどの物語も最後はぐにゃり、とねじれた感じで終わるところが川上弘美さんの小説の魅力でもあると思う。

いわゆるネタバレに気をつけながら、司書まり子のお気に入りの1話『八郎番』を紹介したい。
子どもが多すぎて育てきれなくなったある家の15番目の子、八郎を、町内の家がもちまわりで居候させる。それが八郎番。八郎番はくじで決まるから、1回も当たらない家があるかと思えば、運悪く(とも言えないのだが)11回も引いた家もある。八朗番の期間は1回につき3か月。大喰らいで食費がかさんだり、口答えをしたりと悪いところばかりの八郎だが、いいところも少しある。(そのいいところがステキなのだ)。八郎番は八郎が中学を卒業するまで続く。大人になって建築士になり、"このあたり"で工務店を開く八郎だが、さて恩返しとなるのかどうか。

"このあたり"は、人も個性的だが、家屋もお屋敷から長屋、公団団地、平屋の家、音楽の家と多彩だ。読んでいるうちに"このあたり"の住人になったような気分になり、八郎番のクジが当たるのも悪くない、などと思ったりする。ヘンテコな人が堂々と表に見える町は、でこぼこしているかもしれないけれど、変な人が見えない、つるりとした町より温かくて住みやすそうだと思うが、どうだろう。 硬くなった頭やこころをほぐしたいときにオススメの1冊。印象的なカバー写真は、ベルリンを拠点に活動する写真家、野口里佳さん。

かわかみ・ひろみ
1958年東京生まれ。著作に『蛇を踏む』(芥川賞)、『溺レる』『センセイの鞄』『真鶴』『大きな鳥にさらわれないよう』ほか多数。

スイッチ・パブリッシング 本体1500円(別途消費税)

「さあ横になって食べよう」

バーナード・ルドフスキー=著 多田道太郎=監修 奥野卓司=訳

関野吉晴さんの「特別講座」2の中に、バナナ粥を飲んで死者を送る法事の写真があるが、しゃがんで涙を流している先住民の姿を見て思った。「しゃがんでいる!」。私たちの社会では、公の場で「しゃがむ」姿勢は不体裁である。まして儀礼の場ではトンデモナイ。じゃあこの先住民たちに葬送の心がないのかというと、その深さは私たちに勝るとも劣らないことは関野さんの講座にある通り(面白いのでぜひ一読ください)。

以前このコーナーでも紹介した多田道太郎さんは『しぐさの日本文化』の中で、「しゃがむという姿勢は、いわば文明によって禁圧されている姿勢」と書かれている。
どうやら人間の生活様式の中には、しゃがむと同様に忘れられ、誤解に満ちたものがあるらしい。食べること、眠ること、座ること、清潔にすること、入浴すること。この5つの基本行動について、歴史や古今の芸術作品、世界各地の見聞をもとに解き明かしていくのが、『さあ横になって食べよう』である。

最初の章はタイトルにもなっている<食べる>について。聖書には最後の晩餐について「イエスの胸に寄り添って横になっている」(ヨハネ福音書第十三章二十三節)と書いてある。それなのに、レオナルド・ダ・ヴィンチに代表される最後の晩餐を描いた作品では、キリストが真ん中に座って十二使徒たちは座ってテーブルを囲んでいる。聖書に文字通りに従うなら、ヨハネは横になっていなければならないはずなのに。

著者のバーナード・ルドフスキーによると、キリストの時代には食事をする時には横になるのが習慣だったという。その裏づけとして、貴族たちが寝椅子に横になっている絵画や壁画、実際に寝転んだ最後の晩餐図などがふんだんに掲載されている。例えば写真上は、横になって食事をしているアッシリアの王様のレリーフ。食事用寝椅子に横になり安全ベルトのようなものを締めているのは、ワインに酔って落下するのを防ぐためだろうか、などと想像するのも楽しい。

バーナード・ルドフスキーは1905年生まれの建築家。ウィーンに生まれるが1935年ニューヨークへ定住するまでに、世界各地の都市に生活している。中近東や南米の大都市をはじめ、イタリアの諸都市には6年間、日本にも2年間というふうに。特に日本文化については、箸にしても、鴨川の床にしても、ひのきの風呂にしても、ふとんや蚊帳にしても、惜しみなく賞賛している。ただし、「それは、今世紀の初めまでほとんど損なわれることなく生き続けてきた偉大な文化であった。だが、これも日本人自らの人間ばなれした努力によって、今やほとんど滅ぼされてしまった」と、著者は序でシニカルに述べている。温故知新の視点で読むのも面白い。

最後に<入浴>の章からの1節を。「ラテン民族はパセオ(夕暮れ時の散歩)で出会い、オーストリア人はいつもの喫茶店に集まる。同様に、日本人は常に公衆浴場に集まった。清潔好きのゆえにではなく、うわさ話を交換し、交友をあたため、不和を水に流すためである」。

著/バーナード・ルドフスキー
1905年ウィーン生まれ。建築家、文明批評家。著書に『人間のための街路』『建築家なしの建築』『みっともない人体』など。1988年没。

監修/多田道太郎(ただ みちたろう)
1924年(大正13)京都生まれ。フランス文学者、評論家。京都大学名誉教授。2007年没。

訳/奥野卓司(おくの たくじ)
1950年京都市生まれ。関西学院大学社会学部教授。専攻は情報人類学。

鹿島出版会・定価(本体1800円+税)

『SD選書 さあ横になって食べよう』
鹿島出版会 本体2,400円+税(2016年5月より新価格)

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